手を動かしてものを作る。誰かが使うものを作る。
みんなとひとりひとりで作る。ふわふわしたものを作る。強いものを作る。
きれいなものを作る。なんでもないものを作る。けずって作る。つぎたして作る。
おりまげて作る。とかして作る。そめて作る。あみあげて作る。
ほどよく作る。むりやり作る。わらいながら作る。ひたいにシワをよせて作る。
すばやく作る。ゆっくりかんがえながら作る。
つくらないことで作る。つくることについて作る。
わたしたちはいろいろなものを作ります。
実用芸術という言葉は、生きるために作ることを表すために名付けました。
わたしたちは、生きるためにいろいろなものを作っています。
自分で作ることもあるし、誰かの作ったものを、もらったり買ったりすることもあります。
わたしたちが生きるために、どのぐらいのものが必要でしょうか。
あるいは、いらないものをどのぐらい作ればよいでしょうか。
いるものと、いらないものは、どうやって区別すればよいでしょうか。
そういう、働くということの渦に巻き込まれてしまうと見えにくくなることを、静かにひとりひとりで、誰かが生きるために使うものを作ることによって自分で理解する。
そのことが、実用芸術研究所の目的です。
社会の中で生きづらいひとも、そうでないひとも、社会に参加するためにものを作ることができます。
役に立つことを求めない純粋な表現としての創作というのは立派なことですし、それもきっと何か社会と関わっているにちがいありません。
しかし、わたしたちがここで目指しているのは、それとはむしろ逆のことです。障害のある人もない人も、ひとりひとりが、誰かが使うものを役に立つように作るという明確な目標を持った社会的実践によって、もっと直接に社会に入っていくことです。
目に見える、手で触れる、自分で作ることのできるものを介して、自分の日々の生活を自分自身の手で細く長く社会と結び合わせることで、ただ受け身に巻き込まれる代わりに、理解できる形で社会に参加する場となることが、実用芸術研究所の存在する意味です。
必要なもの、あったらいいなと思うものも、使う人がいてくれてはじめて作り続けられます。
たとえば、伝統的な手工芸品などをみればわかるように、それが必要な人がいて、あったらいいなと思うものでも、だんだんに作り続けられなくなるものがあります。
たしかに、もうだれも使う人がいなくなったならば、そのときは仕方がありません。
でも、まだ使いたい人がいるのに、もう作れなくなってしまうのは残念です。
使いたい人に届けるための仕組みと、社会に参加するための仕組みを、誰かが使うものを作る場で結び合わせて、必要とされるものを作り続けられる仕組みを作ります。
それが、わたしたちの実用芸術研究所の使命です。